ドクター中松こと中松義郎の余命がやばい…現在は末期がんで闘病中も…

30日、都内のドクター・中松ハウスで「ドローンテープ」の発明発表会見を行ったドクター・中松氏(87)は現在、前立腺導管がんで闘病中。「五本の指に入る医者から2年前、2年後に死ぬと言われた」といい、今年末までの余命宣告を受けている。9月に〝歌手デビュー〟した中松氏は、先日開いた会見で「紅白に出場して、歌った後に死ぬ」と宣言したばかりだ。

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「体は予定通り、あとひと月で死ぬ。食べたあと卒倒する、寝られない、呼吸困難などの症状がある。このがんは私が教えているハーバード大にも治療法がないので、私が発明した10の治療法で治している」と近況を明かすと、「死に場所は紅白が一番いい。これまで歌って死んだ人はいないから。NHKが採用するか分からないけど、紅白としての歴史になる。視聴率が上がるんじゃないか」とまくし立てた。

その上で、死の9日前にあたる12月24日に外国特派員クラブで「革命的発明」を発表すると宣言。外科手術、化学療法、放射線治療を選択せず、中松氏はがんを治す食事を発明し、10キロも体重を増やしたという。

「絶対に治療法がないこのがんにかかったことを天に感謝する。すぐ治るようながんなら並の人間ということ。私が生命をかけた発明をするチャンスを与えられた。12月末に結論が出る。無事に1月を迎えたら、がんの治療法を確立したということで、1月16日に米国で壮大な歓迎会をやってくれる」

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中松義郎(なかまつ よしろう、通称: ドクター中松、英語表記:Dr.NakaMats. 1928年(昭和3年)6月26日 – )は、日本の発明家、実業家である。「ドクター中松創研」代表取締役、日本文化振興会会長、国際発明協会及び世界天才会議の主宰者 。東京都知事選挙に繰り返し出馬するなどのパフォーマンスで注目を集め、タレントとしてテレビに出演するようになった。 アパグループ広報誌「アップルタウン」では「サー中松義郎博士」と表記されている

1959年(昭和34年)、イ・アイ・イに入社、専務、副社長を歴任した。1971年(昭和46年)、同社社長との対立から独立した中松はナコー(現在のドクター中松創研)を設立、自らの研究開発の拠点とした。
これまでの発明件数は3,000件以上であり、トーマス・エジソンの1,093件を上回り世界一だとしている
しかし、エジソンの発明が1,093件というのはアメリカ国内で取得した特許の件数であるが、中松による日本国内での特許取得件数は1991年時点で193件であり、中松の「3000件以上」という数字には特許を取得していない「発明」が多数含まれている。また、特許取得件数のギネス世界記録では工学博士の山崎舜平が2004年に3,245件の特許を取得したとして世界一に認定(2011年には6,314件で再認定)されており、中松を大きく上回っている。
1980年から1993年にかけては「発明件数2,360件」と主張していたが、『宝島30』1993年11月号に掲載された記事『「ドクター中松」という珍発明』(松沢呉一)において発明件数が10年以上も全く変化していないことを指摘されて以降は、現在の「3,000件以上」という主張となった
1991年東京都知事選挙に無所属で立候補、“21世紀の地球都市を発明する”の基本政策を掲げ、自作のジャンピングシューズ(ピョンピョンシューズ又はフライングシューズ)を履いたパフォーマンスを行った。結果はわずか2万7,145票で惨敗ではあったが、その一方でバラエティー番組に「奇抜な発明家」として登場する機会も増え、一躍有名人になった
中松はフロッピーディスクの発明者であり特許を取得したと主張している。
ただし「フロッピーディスク」と呼ばれるコンピュータ用の外部記憶デバイスを「ディスケット」として世界で初めて発売したIBMは、中松を発明者、もしくは開発者であると発表したことはない。IBMの「ディスケット」はアラン・シュガートが率いるIBMの開発チームが1970年(昭和45年)に開発し、1971年(昭和46年)より商品化されており、特許を取得・保有しているのはIBMである
アメリカ合衆国の11の州で名誉市民となっているほか、いくつかの場所では「ドクター中松デー」という記念日が制定されている。ただし、アメリカでは名誉市民賞や記念日は市に対して本人が寄付を行えば授与されるケースが多く、一般的な顕彰とは位置づけが違っている

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